倒れて動かなくなったフシギバナを、レッドさんは今迄と変わらぬ様子でモンスターボールに戻した。 フシギバナの姿がなくなって漸く、俺も我に返る。これは紛れもない現実なのだと認識するや否や、ぐらりと目眩がした。でも、倒れる訳にはいかない。 俺は――勝ったんだ。 「トゲキッス、日本晴れだ」 砂嵐は収まり、日が差す。これでもう天候によるダメージは受けない。 トゲキッスはじっと俺を見ていて、その視線にはモンスターボールにはまだ戻らないと言う意志が込められていた。 バトルは終わったが、まだ話の決着は着いていないし、あの人の正体も掴めてない儘だ。恐らくトゲキッスは、そう言った不安要素を懸念して訴えているんだろう。 ―― 一人になるなと。 俺達ポケモントレーナーは、どんな凄い戦術を思いついたって、相棒のポケモンが傍にいてくれなければ何も出来ないひ弱な人間だ。 ポケモンレンジャーみたいな訓練を積んでいる訳でもない。カントーとジョウトを旅したって言っても、ポケモン達が一緒にいてくれたから――出来たんだ。 ポケモンセンターでオーダイルに、皆に心配された時、トレーナーとして情けないと思ったが――結局、俺はいつもコイツらに護られている。心配されたくないなんて、驕りだ。 「レッドさん。俺の、勝ちです」 視線の向こうで静かに佇むその人に、告げる。 けれど――変わらずその人は、そこにいる。でももう、俺とレッドさんの間に立ち塞がるあの人のポケモンはいない。ただ俺の傍に、トゲキッスがいる。 音もない。俺の声だけが風に乗って山に響く。 「……トゲキッス」 隣にいる一匹の相棒を呼ぶ。トゲキッスは何? と言う風に鳴いた。俺は、俺を見ているであろうトゲキッスには敢えて視線を向けず、肩から鞄を下ろした。 鞄から小さめの袋を取り出して、モンスターボールを四つ、中に入れる。そして中身が万が一にも落ちないよう、きつめに紐を締めておく。 袋に入れた四つのモンスターボールの内一つは空だが、他の三つには――瀕死状態で動けない他の三匹が入っている。 「トゲキッス……皆を連れて、先に山を下りてくれ。いつまでも瀕死状態じゃ命に関わる」 モンスターボールを入れた袋を、トゲキッスに差し出す。けれどトゲキッスは、受け取るのを拒んだ。もう一度差し出すが、矢張り拒む。 俺の言いたい事が――心配いている事が、判らない訳じゃないだろうに。 俺だって、俺の傍にいて俺を護ろうとしてくれるその気持ちが、判らない訳じゃないんだ。 でも――早く、治療しないと。 ポケモン達の命を預かるトレーナーとして、俺は皆を護らなくちゃいけない。 「俺は、大丈夫だから」 瀕死に近いトゲキッスに皆を任せるなんて、その時点でトレーナー失格だ。命を護るなら、俺が皆を連れて行かなきゃいけない。 ――でも。 「お前しか、いないんだ」 まだ俺の用事は終わっていない。レッドさんの正体には、触れてすらいない。 けど、レッドさんの正体を明らかにしている間に皆に死なれたら――困るんだ。何をしたくて此処まで来たのか、判らなくなる。 だから、せめて。 トゲキッスは、じっと俺を見た。迷っているようだった。トレーナーである俺の命令を聞くべきか、トレーナーのポケモンとして、トレーナーを護るべきか。 たった一匹残ってしまったから、他の皆の意見を聞く訳にもいかない。皆がどうしたいのか、どうして欲しいのかも判らない。 トゲキッスとしては――俺を護りたいんだろうな。けれど、俺の指示が同じくらい大切だとも判っている。 「……ありがとう」 迷った結果――トゲキッスは、袋を受け取ってくれた。それに俺は安堵する。 トゲキッスは袋を口でしっかり銜えると、素早く身を翻して飛び立った。白い体は山に積もる雪と同化して、直ぐに見えなくなった。 俺は再び、レッドさんに視線を戻した。相変わらず、そこにいる。何も言わず、何も表さぬ儘、ただじっと此方を見つめえている。 負けたら少しは驚くかと思ってたんだが、そんな様子も見られない。 「レッドさん!」 一歩、その先にいるレッドさんに近付く。 するとモンスターボールの開く音がして、ピカチュウが俺の前に現れた。しかしその姿には、バンギラスの地震によるダメージがはっきりと残っていた。 回復した訳じゃない。動けない筈なんだ。 ――それでも、ピカチュウは残っていない電気を精一杯だし、威嚇した。これ以上、近付くなと。今にも倒れそうな体を、四つの足で踏ん張って支えている。 一体何処にそんな力が残っているのか。 いや―― 一体何が、ピカチュウにそこまでさせるのか。 バトルはもう、終わったと言うのに。 「ピカチュウ、心配しないでくれ。お前が近付くなって言うんなら、俺はもうこれ以上近付かないから」 ボロボロの体で、大切な人を護ろうとするその姿を無碍には出来なかった。近付けば何か判るかも知れないと思ったけれど――仕方ない。 向こうにいるその人に声が届くよう、声を張る。 バトルをして感じた事、負けた時に思った事、グリーンさんを話して考えた事、勝って――伝えたかった事を。 「なあレッドさん……アンタはどうして、こんな所にいるんだ? こんな所で、何を――誰を待ってるんですか」 俺に負けても、結局レッドさんは微動だにせずにそこにいる。負けたら、消えたりするんじゃないかとちょっと思っていたのに――その人は消えず、ピカチュウも目の前にいる。 正直、戸惑っていた。やっぱり幽霊なんじゃないかって、思ってたから。負けたらもうこの人はって、思ってたから。 だって、こんな寒い所にいて凍えない訳がないんだ。 今はトゲキッスの日本晴れの効果で晴れているが、基本此処は吹雪いているみたいだったし――吹雪の中って言うのは、視界が悪い。 足場の少ない山頂で、視界が悪くて――足を踏み外しても、奇怪しくない条件が揃っている。 ピカチュウがこれ以上近付くなと言っているのだって、レッドさんが死んでいる事実を知られたくないから――とか。そんな事を一人、考える。 いや、勘繰りはよそう。俺は何も、レッドさんに死んでいて欲しいんじゃない。寧ろ――生きていて、欲しい。 俺と同じ道を――いや、俺が歩く道の先にいたこの人には、立ち止まっていて欲しくない。 本当は、幽霊の実態を明らかにしに来たんじゃないんだ。第一、シルバーの話す幽霊の正体は最初から判っていた。この人だって判っていたから――俺は来たんだ。寧ろ、幽霊じゃないと言う事をこの目で確かめる、為に。 結局、何一つとして真実は判っていないけれど。 まあ、もういいと言えばもういい。俺に出来る事は、もうないから。あとは言いたい事を告げるだけ。 「レッドさん……こんな所にいても、何も始まりませんよ。これ以上、何を待つって言うんですか」 グリーンさんが来るのを、待っているのか。 しかしあの人は――諦めた。此処に来るのを。そしてレッドさんとバトルをして、いつの日か勝ってやる事を。 不器用な二人だと思った。互いを余りにライバルと意識し過ぎているが故に、互いに押し潰されようとしている。いつの間にか溝が出来ているとも知らず、背中合わせで互いが見えないのに気付かない儘、競い合っている。 グリーンさんは俺に、お前ならアイツをどうにか出来ると言った。レッドさんに時代が変わった事を教えてやってくれと。 でもそれは本来、グリーンさんの役目である筈だ。グリーンさんが、レッドさんに勝たなきゃ意味がない。第三者の俺が――勝ったって。 レッドさんは何も言わず、そこに居続けている。俺は、レッドさんに俺の声は届かないと知りながら――言わなければならない。 「アンタを待ってる人だっている。なのに、こんな所で……!」 俺の声は届かないと知っていても――レッドさんの目を覚まさせるのは俺の役目じゃないと知りながらも、俺にも言いたい事はあるから。 もしかしたらと、神様に祈り願いながら。 「アンタはこんな所にいいていいのか? 強さをまだ求めてるって言うなら、立ち止まらないで下さいよ!」 先ゆくこの人がこんなんじゃ――俺は、どうしたらいいんだ。 俺は無意識に、この人の歩んだ道を辿り、此処まで来た。そしてその背中を見つけた。一度は大きく恐ろしく見えた背中が、今はもう小さく見える。 ――その変化が、寂しかった。 俺はこの人を超え、今からこの人の先を歩み始めようとしている。目の前にあったその姿が今、隣にある。 俺が今からこの人の先をいく。勝ったんだから当たり前だ。でもこの人に――此処で立ち止まった儘では、いて欲しくなかった。 「こんな所にいて、どうなるって言うんだよ。今の強さに、満足してるって言うのかよ! それがアンタの目指してきた強さなのかよッ」 答えてくれないのは判っている。でもどうしても、声に出して問わずにはいられない。 俺がバトルに勝ってこの人を超えた事で――この人には漸く、次の目標が見えた筈なんだ。だってもう、最強じゃないのだから。 だから、この人が此処にいる理由は――なくなった。この人が待っていたんだろう己を超える存在が、現れたのだから。 しかしそれはあくまで俺の予想であって、レッドさんの口から直接語られた事では――ない。でも普通に考えて、そんな理由しか浮かばないんだ。 「いつからアンタの目標は……負ける事になったんだ……!」 超える存在を待っていた? グリーンさんが自分より強くなって現れるのを待っていた? ――そんな馬鹿な話があるか。あってたまるか。んなの、最強を目指した人が求めるもんじゃない。超えられるのを、待つ、なんて。 いつだって俺達ポケモントレーナーの目標は、勝つ事の筈だ。そりゃ、全てに勝てばいいってもんじゃないし、負けて得るものもある。 けど根本は――勝つ為に、この一歩を踏み締めている。 「どんな気持ちで俺と戦って、どんな気持ちで俺を助けて……俺に負けて、今、どんな気持ちでいるんですか!」 物言わぬレッドさんの様子が、腹立たしくて仕方なかった。何か言ったらどうなんだと、怒鳴ってやりたかった。でもそんな事をしたって無意味だから、次の言葉を紡ぐ。 ピカチュウはじっと、黒い両目で俺を見つめていた。 ――せめてピカチュウには、俺の気持ちが伝わっているだろうか。 「俺はアンタに負けて悔しかった! 悔しくて悔しくて……だからまた来たんですよっ」 あんなに圧倒的な実力差を見せつけられたのは初めてだった。倒れていくポケモン達を見ながら、俺は現実に絶望した。 俺が今までやってきた事は、してきた事は、歩いてきた道のりは、何だったのかと。それら全てが無意味だったのだと、全否定された気分だった。 ――でもアイツらは、大丈夫だって言ってくれた。戦えると、言ってくれた。 それにどんなに絶望したって、負けた悔しさは消えなかった。 「こんな所にいたって、世界は変わらない。世界の広さは判らない!」 今目に映るもの全てが世界ではないと、知っている筈なんだ。この人は、ポケモン達と一緒に世界を渡り歩いたのだから。そして未だ自分が、完全に世界を見た訳でないとも知っている。 世界に限りはなくて、無限に続いていて、無数に存在している事を知っている。 いや――知っていたと、言うべきか。今もまだ知っているのなら、こんな所にいる訳がない。新しい世界を見つけたくて、明日が楽しみで仕方ない筈なんだ。 こんな――閉鎖的な場所に、いたって。 「世界も時間も、動いてるんだ! 止まってるものなんて何一つないっ。アンタが独り、立ち止まってるだけなんだよ!」 ずっと此処にいるのなら、いつかその存在は埋もれていく。伝説は、語られなくなる。 レッドさん自身からしたら、伝説の人物だって言われても自覚ないんだろうけど――俺やレッドさんに憧れるトレーナーからすれば、歴史に埋もれてなんか欲しくない。 我儘な話だけど、先を歩いて導いて欲しい。 ――結局この人に勝った俺にとっても、やっぱりこの人は憧れなんだ。だからどうしても、理想をぶつけてしまう。 でももし、俺が最初感じたように――この人が此処へ来た理由が、自分より強い者を求めるものだったとしたら――やっぱりこんな所にいちゃ、始まらないと思う。 世界は広いし、動いている。時間が経てば――時代が変われば、立ち止まっているこの人を負かす人間くらい、沢山現れるだろう。 実際、俺は――勝ったんだ。余り、時代差とか自分じゃ感じなかったけど。 それに――変わらないものなんて、何一つないから。 「俺はアンタに、立ち止まって欲しくない。また……歩き出して下さいよ……レッドさん……っ」 ずっと歩き続けろとは言わない。休みたくなる時もあるから。休んだら、また歩き出す。ただ、そうして欲しいだけなんだ。 なあレッドさん、アンタは一体何を――求めてるんだ? 俺には判らない。本当に死んで幽霊になっていたとして……幽霊になってまで求めるものって、何なんだ。 ――結局、判らない儘だ。何一つとして。 「じゃあ俺はそろそろ……行きます。レッドさん、お元気で」 「…………」 もうこれ以上、言う事はなかった。話している間も徹底して物言わぬレッドさんに、俺は打ちひしがれた。 ピカチュウだけが、心配そうに俺を見ている。そして別れを告げる俺を見て、レッドさんと見比べるが――レッドさんはピカチュウのそんな様子を見ても、動かない。 「ありがとうございましたっ」 帽子をさっと脱いで、一礼する。 顔を上げる時は敢えてレッドさんの動向を見ずに、俺は踵を返した。そしてもう、振り返らなかった。 .Back ( top ) Next ( 後書き ) もうちょっと続きます。あと一話……の予定。 最後をどうするか色々考えるのですが、 あんな事言わせたい、こんな展開にしたい、とか色々浮かんで迷います。 結局レッドさん幽霊なのか? 正直、幽霊に出来ません……orz 生きてて欲しい! の口調が敬語になったりタメ口になったりふらふらしてるのは、 敬語を使い慣れてないのと、つい熱くなっちゃうからです。仕様。 |