10*
ある日に見た記憶

 ホールが明るくなると、二人が下りてきた階段の先を円状に人々が囲んだ。何処からか流れ始めた音楽に乗せて、ルシウスはナルシッサの手を引きリードしながら、ゆったりと踊り始める。
 二人が音楽に乗ったところで、他の者達もダンスに加わり始めた。


「折角なんだし、踊ってみたら?」

「そんな暢気にやってられませんよ」


 いつの間にか二人の許に戻ってきたゼーレが、シリウスにそう投げかけた。
 いたい訳でもない場所で、ダンスを優雅に踊る気分になれる筈がない。


「まあ今は主役が踊ってるから、入っちゃうと悪目立ちして危ないけど、二人が抜けたあとなら大丈夫だろうしさ」

「何でそんなに踊らせたいんですか……」


 矢鱈押してくるゼーレに、シリウスはげんなりとした表情を隠さず出す。
 此処が敵地である事を本当に判っているのだろうか。一応、中傷されないよう回避する事は考えてくれているようだが――人前には可能な限り、出ない方がいいのではないか。


「一応、ペアで来てるなら一度は踊るのがマナーでしょ?」

「……まあ、そりゃ」

「踊らず突っ立ってたら、ちゃんが誘われて奪われちゃうかもよ?」


 その一言に――シリウスは思わず、言葉に詰まってしまった。
 それは厭だと――瞬時に思う自分がいて、どう言う事だと自問に陥ってしまったからである。ゼーレはそんなシリウスの内心を察するように、にやにやと笑っている。


「でもお……私、踊れないと……思うし……」

「大丈夫大丈夫、リードされるが儘に踊ればいいだけだからさ」


 そうは――軽く言うが。ただでさえ初めて履くヒールで普通に歩けている事を振る舞うのが精一杯なのに。
 初めて履くスカートも、スースーしてひらひらして落ち着かない。
 二人がそれぞれの理由でもじもじとしている内に一曲目が終わった。ざわざわとしたと思うと、主役の二人がダンスを終え、食事の並ぶ方向に向かったからのようだった。挨拶をして、少しでも評価をよくして貰おうと、取り巻き達がそのあとを追い、ダンスの為設けられたその場は少し静かになった。
 やがて、残ったペアの男女が、ゆっくりと流れ始めた二曲目に乗って踊り始める。
 
 
「ほら、折角だから行っておいで」


 そう背中を押されたシリウスは、戸惑いながらも意を決して、とダンスを踊る事にした。
 服を整え、深呼吸を一つ、と向き直る。
 
 
……その……俺と踊って、くれるか?」

「……足、踏むかも……知れないよ?」

「何とかするさ」

「じゃあ……よろしく」


 手を差し伸べると、はその手を取る事に逡巡した。迷った表情で自分を見上げるに、思わず可愛いと思ってしまう。
 こんな場でなければ、もっと素直にそれを見て喜んでいるのに。
 そう思いながら、不安そうに自分を見上げるに、シリウスは勝気に笑った。それを見たはほっとしたように笑みを浮かべ、差し伸べられた手に己の手を重ねた。
 そしてエスコートされる形で、踊る者達の輪へ向かった。
 向かい合って、シリウスは無理矢理させられたダンスの練習の記憶を呼び起こしながら、片方の手をの背中に回し、添える。もう片方の手――先程に差し伸べ重ねられた手を軸に、シリウスは音楽に合わせてをダンスに誘った。


「ん……? 、力入れなくていいんだぞ」

「え、あっ、ごめ、何か……」


 いざ曲に合わせて動こうとすると、が逆に引っ張るような動きを見せて、シリウスは戸惑った。だが別段、は体を強張らせて拒否したと言う訳でもなかった。
 上手く体が動かない――のは想定内だが、それにしてもはぎくしゃくとしていた。
 の背中に手を回す関係上、顔が近くなって恥ずかしくなったからだろうか――とも考えたが、の表情に浮かんでいたのは恥ずかしさではなく困惑だった。
 
 
「体が……何か覚えてる、感じがして……よく判らなくて」

「取り敢えず、今は俺に身を委ねられるか?」

「あ、うん……」


 の言葉を受けて、失くした記憶に関わる何かか――と察しつつ、踊る為に出て来たのに踊らず突っ立っていては目立ってしまうので、何とか踊り始められるようを促す。
 足元を見ていた時は考える事を一旦止め、顔を上げた。
 それを見たシリウスは、改めての体をリードしながら、音楽に合わせて踊り始めた。
 シリウスに促されるが儘、足を踏まないよう注意しつつ踊る。まるで世界の動きがゆっくりになったかのように感じた。
 動きは馴染まないが、こうして踊る事に――何故か、初めての筈なのに懐かしさを感じる。
 いつしか周りを囲んでいた疎らな者達最初は、あのブラック家の長男がと思い目に留めたが、優雅に踊る美男美女のシリウスとに目を奪われていた。
 やがて曲が終わると、二人は自然とお互いに会釈をして、踊りを終えた。
 踊っている間、いつの間にか二人の世界に入っていた為、はっと我に返って周りを見ると、共に踊っていた者達含め、その場にいた全員の視線が集まっていた。
 
 
「えっと……」

「取り敢えず、この場を離れるぞ」


 どう言う空気なのか読み切れず、シリウスはの手を引いてダンスの輪から抜けた。二人が抜けようとした輪の先にいた人々は避けるように道を開け、二人に何かする事もなく、何か言う事もなく、離れていく二人を見つめていた。
 ダンスを終えた二人は、ルシウス達が向かった先とは真逆の、ホールの奥へ退避した。
 相変わらず近くにいた者達は、じろじろと此方を見ているが、悪意と言った類は感じられなかった。
 
 
「やっぱり……目立ったよね……」

「目立たない理由がないからな。今更だが、こけたりしてたら笑いものにされてたかもな」

「あ、危なかった……結構、最初は何度もこけそうになったんだよな……ありがとう、シリウス」

「いや、いい。まあ……こんな場でこんな気持ちになるのも複雑だが……こんな場だってのを忘れるくらいには、楽しかった、からな」


 ただ――ダンスを踊っただけなのに。は足元を気にかけていたので、余り顔を上げる事もせず、見つめ合う事も殆どなかったのに。
 自分の腕の中にはがいて、今、体を密着させて踊っている――それを嬉しいと、思う自分がいた。
 ゼーレは、シリウスのこのに対する気持ちを察して――強引ながら、ダンスを勧めていたのだろうかとすら思った。


「お疲れ様。流石ブラック少年、見事なリードだったよ。でも最初、危なかったね?」

「あれは、お……私が悪いんです」

「俺と逆に動こうとしてたよな? 何だったんだ?」


 ホールの隅に移動したシリウス達の許へゼーレがやってきて労った。
 ゼーレが何気なく振った問いに、がしょんぼりとした反応を示す。それを見たシリウスは、責めるでもなく純粋な疑問として――あの時の動きを尋ねた。


「私、にも判らないんだけど……音楽を聴いて、ダンスだって思って動こうとしたら……自然と動いて」

「逆、と言うより対称だから――同じ動きをしようとしたって事、になるのか?」

「そう……なる」


 シリウスの指摘に――は、言われてはっとし、目を見開いた。
 踊っている最中は混乱と何事も起こさず踊りきらなければと言う焦りで考えを止めていたが、あの時の感覚を思い出すなら――シリウスと、同じ動きで踊りだそうとした自分がいた。
 ダンスの教養など――ないと思っていたのに。
 だがシリウスと同じ動きをしたと――言う事は。


「つまり体は……男性のダンスの動きを……覚えてるって事……?」


 と言う名でホグワーツから入学許可証が届いたのは、何か学校側のミスか意図があってのものだと思っている部分があった。いや、それ以外にと言う名を、己の名だと本心から思った自分の事もあるので、学校側のせいだけではないとも考えていたけれど。
 の名が――存在が、本物なのか。
 しかし、初めてフェイにの名を呼ばれた時の拒絶感を思い出すと、とてもそうだとは受け入れられない。
 も己であり、も己である――その自覚は、強く根付いている。
 自分は本当になのかと疑った今の瞬間ですら、いや己はだと言う自覚がすぐに浮かんだ。目覚めてからの日数は、最早として過ごした日数の方が多いにも拘らず。
 どちらかを否定する気持ちは、全く浮かばない。


「――ブラック家長男としては、とても見苦しいダンスだったな」


 この感覚は――と、が考えに落ちるより早く、水を差す一言が投げつけられた。
 一体何だと視線を上げれば、そこには取り巻きを連れた今日の主役が、蔑んだ目で此方を見ていた。
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( 後書き )

シリウス、本格的に自覚開始ですかね。
そりゃダンスで密着したら意識しない訳にはいかないでしょう(笑)
取り乱さず恥ずかしいと拒絶しないところが流石と言うべきか。
それにしても、本当にゼーレさんは怪しい! 怪しいったらない!