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忘れないで。その夢だけは
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目の前に現れたゼロスは、いつもと違う雰囲気だった。 張り詰めた空気は、殺気に満ちた空間とも違って、ただただ不安の闇を掻き立てるものだった。 「貴方は……誰ですか?」 ざあ、と音を立てて風が森の中を通り過ぎる。何かを攫っていくように。驚き以外の感情を、彼女の中から消し去っていくように。 その一言を聞いた時彼女は、目の前が頭が真っ白になりそうな衝撃を受けた。 目の前に立つ男は、見慣れた自分の知る男なのか。この言葉は嘘なのか本当なのか。 いや――嘘は言わないと常日頃から言っていたので、本人として嘘ではないと言うのなら。 そこまで考えて、彼女の心の中で決意が下った。 「……私は、君と何の縁もない、ただの人間だよ」 ふっと小さく笑って直ぐにその笑みを消し、目を伏せるように世界を切り替えてから、身を翻す。 そして彼女はその儘、ゼロスに背を向けてその場を去ろうとした。 「ま――待って下さい、さん!」 彼女が一瞬見せた表情の重要性に気付いたゼロスは、去ろうとする彼女を慌てて呼び止めた。 彼女がそれで立ち止まってくれるかは判らなかったが、意外にも彼女は背を向けた儘にしろ、足を止めた。 ほっと一息、彼女がこれ以上離れない事に安心してから、ゼロスは改めて彼女に近づいた。しかしそれで、彼女が振り返る事はない。 「冗談です。悪い冗談でした。なので、傷つかないで下さい」 いつもの彼女なら、私を知らないんじゃなかったの、くらい返しがあってもよかった。けれど立ち止まっただけで振り返る様子もなかった。 だからこそ――予想外で、慌ててしまった。 「……君は何を言ってるんだ?」 振り返った彼女は、じっとゼロスを見上げた。 その表情は――目は、何も映していなかった。怒りも悲しみもなく、無色でリセットされたかのようだった。 「ですから、傷つかないで下さいと」 「別に傷ついてない」 しかし、ふい、と逸らされた視線は彼女の感情を明らかに語っていた。 視線を逸らすと同時に再び彼女は身を翻し、ゼロスに背を向け、歩き始めた。話を打ち切ろうとする彼女を、ゼロスは右手を掴んで引き止める。 「いえ、さんの感情には悲しみが混じっていました」 誰かと訊いた時――彼女の目には驚きが映り、そして悲しみ、絶望が過った。 仮に彼女のその表情を見逃してしまっていたとしても、ゼロスにはその感情を感じ取る事が出来ただろう。 「魔族の僕に、感情が隠せるとお思いですか?」 「気のせいだ」 「そうは言いますが……」 負の感情を糧にする魔族は、当然負の感情には敏感である。 生物と違い、存在する為に必要と言う訳ではないが、魔族の中にはその糧に執着し、負の感情を積極的に生み出そうとする者もいる。 ゼロスは特に執着心を覚えた事はないが、純魔族である以上、察知能力は高い。 「判った」 「え?」 ゼロスが魔族と言う存在上、負の感情に敏感な事は彼女も知っている事だ。負の感情を隠し強がったところで――意味はないのだと。 けれど彼女は改めて感情を曝け出す事はせず、俯かせていた顔を上げ、空を見上げた。 そうして宣言された言葉を、ゼロスは理解出来なかった。余りに唐突で、一体何を――理解したと言うのか。 「魔族に感情を悟られないような 再び振り返った彼女は、打って変わって勝ち誇った笑みを浮かべてそう宣言した。 予想外の反応で、ゼロスは目を丸めてしまった。 「それは少し……困りますね」 「何で」 宝石の護符――単純なものなら、魔法の根源を司りすらする魔族のゼロスに、影響のあるものはそうそうないと言っていい。 多少のプロテクトなら簡単に破れるし、人間がそんな物の力で魔力を強化したところで魔族に力が及ぶ道理がない。 だが――彼女には、今はいなくなってしまったとは言っても、悪魔から得た知識がある。新たな知識は得られなくても、今まで得た知識が消えた訳ではない。 その残った知識の中に、魔族に居場所を知られないようにする為の方法くらい――あってもおかしくない。 尤も、それならば悪魔がいる頃から着手していそうなものではあるが。それについては、態々造らなくても最終的に悪魔に願えば出来る事だったが故に、造っていなかったと言う理由がある。 何にせよ――悪魔の知識を元にそんな物を造られては、彼女を探すのが容易でなくなるのは必至だ。 「僕は少しでも、さんの気持ちを知りたいですから」 歩み寄って、彼女を正面から見据えて想っている事を告げる。 勝気な――少し強がる色を滲ませた笑みは消えたが、彼女の強い瞳の光が消える事はなかった。 その光を見て改めてゼロスは、馬鹿な事をしたと自覚する。彼女にそんな目をさせてしまっているのは、彼女の気持ちを細部まで知らなかった自分なのだと。 「隠そうとしている感情を読み取るのは、デリカシーがない証拠だよ」 「さんは強がりで隠したがりなので、これくらい踏み込んでいかないと僕としても心配でして」 彼女の強がりに――まんまと、騙された。 赤の他人だと言って去ると言ったのは、それこそ本心を隠した冗談だったのに。本心を隠した、彼女の強がりだったのに。 ふっと笑う彼女にほっとしつつも、不安にさせた自分を改めて認識せざるを得なかった。 ふっと笑わせて――安心させなければならないなんて。心配を不安を、抱かせてしまったなんて。 魔族らしくない思いだと察しながら、彼女を前に魔族らしくない姿を見せるのは今に始まった事ではないと、彼女の前でだけ見せられる自分の姿に、ゼロスは特別さを感じる。 「アミュレットを造ったところで表情が変わる訳じゃない。私の気持ちを知りたいと言うのなら、その目に……焼き付けろ」 彼女の一挙一動を気にかけその目に留めてきた筈なのに、本当に失態だったと思う。彼女がこうして許してくれなければ、自分はどうしていたのかすら判らない。 彼女が脆い人間である事を再認識しながら、ゼロスは彼女の言葉を受けた。 「判りました。では、さんから目を離さない事にしますね」 「……我ながら、今のは失言だったな」 全てを見せてくれず、背を向け顔を俯かせ目を伏せ感情を隠すのは彼女自身だけれど、それも含めて見落とさず見つめなければならない。 自分の心中の矛盾を自覚しながら、仕方なそうに苦笑を浮かべる彼女の姿を、強くも弱い彼女らしいものだと――思った。 ( 後書き ) 後書きに書いたか忘れましたが、トリップから戻ってきた一話では、 ゼロスの姿に偽装した別の魔族が夢主の前に現れて、誰ですか、と 問いかけると言う予定がありました。 ただやっぱり、魔族の性質上、他の魔族の姿に偽装するのは 無理じゃないかなと思って断念。 姿を別のものに出来るとしても、自分じゃない誰かに偽装するのは無理じゃないかと。 姿を自分じゃない誰かに偽装すると言う事はつまり、自分の存在がいらない、 あるいは相手より劣っていると言うような認識の下だった、あるいは その認識が少しでも含まれているだけで、存在意義が消滅して 自分で身を滅ぼすのではないかと。 魔族が人間に卑怯な手を使えない辺りの理由と同じですね。 原作の何処かに、人間の挑発には必ず魔族は乗る、人間如きの挑発に 乗らないと言う事はつまり、人間以下だと認識する事になるから、と 記載されていたような気がして。 今回の話、ゼロスの嘘吐きません、に対して嘘を吐いちゃった形になりかねませんが、 まあ冗談のつもりでゼロス本人が言ったら嘘にはならないんじゃないかなと。 そして記憶喪失ゼロスと言えば、ライト・マジック版ゼロスが 記憶喪失で何だかんだ美味しかったので(笑) |