気付いたら、病室らしき場所にいた。何処かの町の病院なのかと窓の外を見てみるけれど、見慣れた風景じゃないから判らなかった。 でも確か私は――シロガネ山に行って、それで。 「……そっか……負けたんだ、私……」 レッドさんと戦って、バクフーンが目の前に倒れて行く姿が、スローモーションのようにゆっくりと見えたのを覚えている。その映像が、瞼の奥に焼きついて離れない。 そして私の記憶は、そこで途切れている。 恐らく、レッドさんに負けたと同時に緊張か何かがなくなって、今迄知らぬふりをしてきた疲労とかそう言うのが、どっと押し寄せたんだと思う。 そのあと私は――どうしたんだろう。少なくとも窓から見える風景は、険しいシロガネ山の情景ではない。だとしても、じゃあ誰が私を、此処まで? ――レッドさん、かな。 どんなに考えを逸らし巡らせても、最終的にはあの人に辿り着く。そして負けた事実が目の前に立ち塞がる。 遣る瀬なくなって……ぽたりと、頬に涙が伝った。堰を切ったかのように、それから溢れて止まらなくなった。 ただ悔しくて悔しくて、どうしようもなかった。歯を食いしばっても拳を握り締めても、何にもならない。 全て私の、力不足。私が弱くて浅はかだったから――ポケモン達も傷つけた。 「ごめんなさい……ごめんなさい……」 ごめんなさい――。 口から零れ落ちたその名前に、一瞬驚いて涙が止まる。でも直ぐに、自分の気持ちに気付いて涙は更に溢れた。 いつしか声は言葉にならなくなって、嗚咽だけが口から漏れた。 私はとの約束を、破ってしまった。 私は、の為にも負けちゃいけなかった。勿論、勝たなきゃいけなかった理由、勝ちたかった理由は他にも沢山あったけれど、の言葉に応えられない事が一番ショックだった。 それ程までに私にとっては、大切な存在だった。 出会いはあんなで、最悪とも取れる印象と場面だったけど、だからこそ今のが好きで、私の存在意義があった。 思えば、初めて戦ったトレーナーであり、初めて勝った相手であり、同い年の友達だった。 彼は私の――唯一の、ライバルだった。 レッドさんにとってのグリーンさんであり、グリーンさんにとってのレッドさん。私とも、そうだったのよ。 でもいつからか私は、レッドさんを目指し始めていた。自分の力量も弁えず、高過ぎる目標に挑んだ。その結果が――これだ。自業自得じゃない。 此処までついて来てくれたポケモン達も、結局傷つけて。 「……皆?」 そこで不意に、皆がいない事に気付く。気付くのが遅かったと自己嫌悪したものの、それどころじゃなかった。 部屋を見渡してみても、ポケモン達の入ったモンスターボールがない。ベッドの傍の机には私の鞄とポケギアが置かれているだけだし、鞄の中にあるモンスターボールは未使用の物だ。 きっと、気絶していた私の代わりに誰かがポケモンセンターへ連れて行ってくれたのだと思うけれど、それは飽く迄予想に過ぎず、仮令事実だとしても――私にとっての事実ではない。 「探しに、行かなくちゃ……」 本当にポケモンセンターに皆がいるのだとしても、彼らのトレーナーである私が傍にいなくてどうするの。皆、不安がっているかも知れないし、心配しているかも知れない。私が、不安で心配しているように。 ベッドから降りる。躯を動かすと痛みがあったものの、我慢出来ないレベルじゃない。皆が戦いで負っている傷を思えば、こんな痛み。 よろけそうになるのを何とか堪え、扉まで歩き、開けようとした時――ノックがあった。扉に伸ばした手を引っ込めて、こけないよう注意しつつ一歩下がる。 いきなりのノックに動転して返事を忘れていたけれど、訪問者は私の返事を待たずに扉を開けた。 「あ……グリーン、さん」 「何やってんだお前」 グリーンさんとしても、私が入り口にいたのに驚いたのだろう、きょとんとしながら疑問を投げる。 私は暫く呆然として、その疑問に応えるのを忘れていた。しかもはっと我に返って出た言葉は、疑問の答じゃなかった。 「私のポケモン、知りませんか?」 「ああ……お前のポケモンならポケモンセンターにいる。今のお前と一緒で療養中だ」 「そう……ですか」 「――おい!」 躯から力が抜ける。倒れそうになった私を、グリーンさんは慌てて支えた。 普段の私ならこんな状況になった時、ごめんなさいと大急ぎで謝って離れるのだが、そんな力は直ぐに出なかった。グリーンさんもそれが判ったようで、やれやれと溜息を吐きながらも肩を担いでくれた。 「ポケモンセンター、行くのか?」 「一緒に行ってくれるんですか?」 「……怪我人を一人で行かせる程、俺も薄情な奴じゃねぇよ」 「有難う御座います」 そこでやっと、グリーンさんから離れる。よろよろと歩き出す私に、グリーンさんは声をかけようとしたみたいだったけれど、何も言わなかった。きっと、私の気持ちを汲んでくれたのだろう。 悪ぶってはいても、トキワシティの人々はグリーンさんをジムリーダーだと認めているし、尊敬しているから。 本当は、優しい。それは――にも言える事ね。 でも何故今、を思い出したのだろう。 「お前……レッドに負けたんだな」 私の横を歩きながら、少し気まずそうにしながらグリーンさんは口を開いた。余り遠回しな言い方をして探るのは好きじゃないのだろう。そして、訊かずに我慢するのも。 私は詳しくグリーンさんを知っている訳ではないけれど、グリーンさんらしいなと思った。 「お前の所に行く前に、レッドのひやかしに行って来たんだ」 レッドさんも――同じ病院に、入院しているのか。だとしたらもう一度、会えるかも知れない。会って、どうする訳でもないけれど。 私はレッドさんに負けたんだ。だから、もう一度戦って下さい――なんて言う気力はなかった。寧ろポケモンバトルすら、暫くやらないかも知れない。 「バトルではお前が負けたみたいだが――レッドの奴は、トレーナーとしてお前に負けたって言ってたぜ」 あの人が――そんな事を。私がただ一方的に憧れるだけだったのに。 あの人にもきっと、私やグリーンさんが抱えるような葛藤があった。そう思うと、遠く感じたあの人との距離が、近くなった気がした。 何も、特別な力があった訳ではない。私にも、あの人にも。 ただ純粋に、ポケモンが好きだった。ポケモンといたから何でも出来る気持ちになれて、彼らがいたから私は此処まで来れたのだといつも思う。こうして離れているだけで――どうしようもなく心配で不安で、崩れ落ちそうになる。 本当に皆――大丈夫なのかと。 レッドさんも今、そんな気持ちでいるんじゃないかと考える。どんな状態か知らないけれど、私同様入院するくらいなのだから、歩くのも辛いんじゃないか。 それに――気絶した私を運んできてくれた事を考えると、どんな理由であれ会いに行かなければならないと思う。 もう一度――会う、のか。 「ポケモンもトレーナーも元気になったら、また戦えばいい。戦って、今度こそ勝てばいい」 どんな気持ちでグリーンさんはそんな事を言うのだろうかと、横目で表情を窺った。 だってきっとそこには、グリーンさんが自分へ言い聞かせる意味だってだあっただろうから。レッドさんに結局負けて勝てずに終わったのは、何も私だけではなくて――寧ろグリーンさんは、レッドさんのライバルになってからずっとだ。 グリーンさんは、まだ開かないエレベーターの扉をじっと見つめていた。その目にははっきりと、立ち止まらないと言う強い意志が表れていた。 戦っても今度こそ勝てるかは、判らない。それもまた――ポケモンバトルと言うものだ。でもそこで負けても諦めなければと、言葉にしないでもグリーンさんは語っている。 やがてエレベーターの扉は開き、私達は乗り込む。 「負けたら終わりな訳ないだろ。負けたら負けたで次勝つ為に戦うんだよ。んで、勝った奴は負けた奴が挑んでくるのをどっしり構えて待ってりゃいいんだ」 そうやって、今迄何度もレッドさんに挑んできたのだろう。歯痒く悔しく思いながら、今度こそ――そうして明日を見据えてきた。 ライバルだから余計に、歯痒さも悔しさも強かった。同じ一歩を同じ瞬間に踏み出した筈だったのに――何が違うのか。何が、足りないのか。 「ライバルだろうとなかろうと、トレーナー同士はそんなもんだし、ポケモンバトルはそんなもんだろ」 勝って、負けて。はっきりした現実だけれど、簡単ではない。たった一回きりで、終わる訳がない。 小さな可能性が大きなきっかけを作り出す。それがポケモンバトルであり、ポケモンの秘める可能性であり、トレーナーの役目だ。 「でも私……約束を、破ったんです」 「約束?」 「私のライバルとの……約束を」 との、約束を。私が私であり、がである為の大切な約束。 あの約束をしたから、は私を追いかけてくれた。私達ポケモントレーナーにとって大切で欠かせない気持ちに気付いてくれた。 そんなきっかけを生んだ大切な約束だったのに――私は。 あの人に、負けてしまった。ではない人に。 相手がレッドさんだったから――あのワタルさんさえ、グリーンさんさえ敵わないレッドさんが相手だったから敵わなくて当たり前だったんだと言われると、どうしようもない。でも私だってワタルさんを倒したし、グリーンさんも倒した。 可能性はあったと――今でも思う。 でもやっぱり、一歩及ばなかった。 何であれ、私はあの人に――負けてしまった。その事実は消えない。そしてもう一度戦って勝てると言う自信は――ない。 そう思うと余計に、胸が苦しくなった。 「私はライバルらしく……が私に勝つのを待つ筈だったのに……私はが私に勝つよりも先に、以外の、レッドさんに負けてしまいました」 が乗り越える存在として私はあった筈なのに、ライバルとして不甲斐ない存在になってしまった。こんな私を乗り越えたって、何にもならなくなってしまった。 こんな私――厭だ。どうすればいいのか、判らない。 「なるほどな……だからアイツは、あんな事言ってたのか」 「え? ど、どう言う事ですか?」 エレベーターが一階に着いた。 グリーンさんは私の戸惑いを無視するかのようにエレベーターの外へ出て歩き出す。私は慌ててそのあとを追う。 グリーンさんは待ってくれない。すたすたと、病院の玄関へ向かう。 玄関に到着して漸く振り返り、追いつこうとする私を見やった。表情は逆光で見えなかった。 「お前らをシロガネ山からトキワシティまで運んできたのは、レッドじゃなくてだ。アイツは、お前が来る前に俺の所へやって来た。親父が前任のジムリーダーだったみたいでな……それからジョウトとカントーのジムバッジを八つ取ってきて、もう一度アイツがトキワシティに帰ってきた時……既にお前はシロガネ山に向かったあとだった。俺は――アイツはレッドに負ける。アイツじゃやっぱり、レッドには勝てない。そう言ったんだ。その話を聞いたは……お前を追って、シロガネ山に向かった。元々ジムバッジは、レッドに会う為に必要だって俺が教えたんだ。お前に教えたみたいにな。がシロガネ山に向かって……三日後に、連絡があった。その連絡を受けて、俺がトキワシティまで来ていたお前らを病院に運んだんだ」 きっとその話を聞かなければ、私はレッドさんい助けられたと思い込んでいた。 だって先ず、が此処にいるなんて考えてもない。それでが、私と同様にレッドさんとのバトルを目的にしていたなんて事も。 じゃあシロガネ山へ登って、私とレッドさんを運んできたも――この病院に入院、してるって事? いやそれよりも――は私がレッドさんに負けた事実を、知った。知っている。 その事実を誤魔化すつもりはなかったし、寧ろまだよく何も考えていなくて、戸惑った。まだ心の整理は、整ってなかった。 は私がレッドさんに負けた事を知って――どう、思ったのかしら。 「それで――ついさっき、と会ったんだ。お前の病室の前でな」 お見舞いに、来ようとしていたのかと考えるが、グリーンさんの表情がそんな長閑な話ではない事を物語っていた。 は私の部屋の前で、何をしていたのか。私はと、会っていない。グリーンさんが部屋に入ってきた時だって、はそこにいなかった。じゃあ、何処に行ったの? 「入らないのかって訊いたら……アイツにとって――つまりお前にとって、俺は此処にいなかった事実の方がいいみたいだからなって、言ってたんだ」 最初は判らなかったんだがな、とグリーンさんは呟く。 どう言う事? どうしては、そんな事を言ったの? だって私、に助けられたんでしょ? だったら――お礼を、言わなきゃいけないのに。 助けてくれてありがとうって――笑って、言わなきゃ。 「俺は何も知らない。此処にはいなかった。だから誰が誰に負けようと、それは俺の知らない話だ」 そう、は言っていたとグリーンさんは告げる。呟くように淡々と、は言っていたのだそうだ。 私はまた、泣きそうになった。その言葉はなりの、私への優しさだと――気付いて。は私を想ってくれたのだと。 グリーンさんが入ってくる前からいたのだとすると、もしかしたら泣いているのを聞かれたのかも知れない。ただひたすらに泣いて、謝り続ける私の声を、扉の向こうで聞いていた。 だからは入ってこずに、そんな事を――思った。 自分が何も知らなかったと言う現実の方が、私をこれ以上苦しませないのだと。 でも、それは違うのよ。私、そんなに弱くないわ。今は少しだけショックで戸惑っているけれど、負けた事実から目を逸らす程、落ちぶれた覚えはない。 今でこそレッドさんと戦って久しぶりに負けたけど、トレーナーになりたての頃は、連敗した事だってあった。負けないトレーナーなんて、いないのよ。きっとレッドさんだって――今迄に、何度も。 「……グリーンさん。それからは、何処に行ったんですか?」 会わなきゃ。会って、言わなきゃ。 ありがとうって言って、そのあと私の気持ちを言うの。じゃないとは、勘違いした儘になってしまう。それは、駄目。それは私の為にもならないし、の為にもならない。 「ああ……お前の部屋に入るんだと思ってたらどっか行こうとしたから、何処に行くんだって訊いたら、町を出るって言ってたぜ。でも多分町を出る前に――ポケモンセンターに寄ってる筈だ」 は私とレッドさんを運びながらシロガネ山を下りたものの、私達程深い傷を負いはしなかったのだそうだ。一日入院して、元々今日退院の予定だったらしい。 退院してもまだ町に残るのかどうかは、本人次第。町を出るのなら――引き止める理由はない、だろうけど。なら、私が目覚めようとも目覚めなくとも、自分が退院出来たなら町を直ぐに出て行く――と言う行動には頷ける。 でもせめて会えなくなる前に一度だけでも、会いたい。会わなきゃいけない。まだお礼すら、言ってないのよ。 「急げば……間に合うと思いますか?」 「その躯じゃ無理だ」 「無理でも……!」 「……仕方ねぇなあ。ピジョット、出て来い!」 溜息を吐くと、グリーンさんは徐にモンスターボールからピジョットを出した。 人一人なら余裕で運べる大きさだ。強さも、私は身を持って体験している。グリーンさんの、先発のアタッカーポケモンだ。 「乗れ。ピジョットがお前をポケモンセンターまで連れて行ってくれる」 「グリーンさんはどうするんですか?」 「あとから行く」 「……判りました。有難う御座います」 ピジョットに乗ると、ピジョットは私がしっかり乗っているのを確認した上で地面を蹴り、空へ舞い上がった。 、まだ行かないで。お願いだから、そこにいて。 そんな私の願いを乗せて、ピジョットはポケモンセンターへ向かった。 .Back ( top ) Next ( 後書き ) そんなに長いつもりはなかったのに、気付けば長くなっていた。 さーシルクリですよ。まあ恋愛とかと言うよりも、友情の方が色濃いと思いますが。 私個人としてはどっちでもいい。寧ろ主人公はライバルを友人と言う感覚で見ているけど、 ライバルは主人公に無意識で恋してた、みたいなのがいい。超妄想。 が好きすぎていけません。 グリーンさんの科白が「アイツ」だの「お前」だので誰を指して言ってるのか判り難いですが、 グリーンさんが主人公の名前を呼ぶのは違和感あったんですよね……の科白然り。 なので、やむなくあんな判り難い科白になりました。何となくで判って下さい。 |