15*
もう一度、約束を交わす




 運んできた二人程傷を負っていなかった俺は、一日の入院を求められただけで、翌日には即退院となった。
 でもあの男と女が目覚めるのを確認してからトキワシティを発とうと思った。でなければ、寝覚めが悪い。どうなったのだろうかと、一々気にしてしまう。
 しかしそれにしても――思い返すだけで、不思議だったと思う。
 シロガネ山を下りる道中、登る時はあれ程襲い掛かってきた野生ポケモンが、一匹も出てこなかった。まるで何かを、示し合わせたかのように。
 だがトレーナーの命令も受け付けない野生ポケモンに、そんな行動を取る理由があるのか。
 非道なポケモンなら、仮令相手が重傷を負っていようとも、容赦なく攻撃を仕掛けてくる。特にあのシロガネ山にいたポケモンは、見慣れぬ人間に物凄い警戒心を持っていた。山を下りるからと言って、容易にその警戒心を解くとはとても思えない。
 だが一匹も現れなかったのは事実だし、だからこそ俺だけが軽傷で済んだのだし――。
 そこでもしかしてと脳裏を過ぎったのは、あの青いポケモンだった。もしあのポケモンが本当に伝説に部類されるポケモンで、シロガネ山に棲息している野生ポケモン達に、手を出さないように命令してあったのだとしたら――ありうるのではないかと、思った。
 尤も、あのポケモンに俺達を護る理由があるのかなんて、知らないが。
 そんな事を考えている内に、アイツの病室の前まで来ていた。昨日はまだ気がついていないみたいだったが、そろそろ気がついていても奇怪しくない。
 ノックをしようと手を上げて――俺の動きは止まった。
 扉から漏れる、声。アイツの声だ。でも――普段のものではない。
 泣いて、いるのか?


「ごめんなさい、


 扉越しに聞こえたその言葉だけが、やけにはっきりと聞こえて耳に纏わりついた。
 シロガネ山であの男に会い、背負われた女を見た時――ああ負けたのだなと、悟った。でも女が戦った相手は、父さんさえも倒した男だ。勝てる奴なんているのかと、思った。
 あのグリーンと言う男だって、言っていた。アイツじゃレッドには、勝てないだろうなと。
 自分が戦って負けても尚そう思ったと言うのだから、俺も女が負けているんじゃないかと思いながら、シロガネ山を登った。
 心の隅で、いやもしかしたらと――思いながら。
 でも、負けたんだな。
 どんな戦いをして負けたのかまでは俺の与り知らぬ話だ。だが女にとっても今それは関係ないようで、負けた事実だけが重くのしかかっているようだった。
 女に失望しなかったと言えば、嘘になる。でも失望する程、俺は偉い人間でもなかった。
 一度だって、あの女に勝っていない――俺は。


「入らないのか?」


 踵を返そうとした時、横から声をかけられた。
 声のした方を見ると、廊下の向こうにグリーンがいた。グリーンは俺の目の前まで来て、立ち止まった。俺が先程向き合っていた扉にちらりと視線を向ける。
 どうやらこの男も、女の見舞いに来たらしい。


「……アイツにとって、俺が此処にいなかった事実の方がいいんだ。俺は、何も知らない。アイツが誰かに負けた事なんて、知らない」


 きっとアイツは、そんな事を望まないだろうが。 
 でも不器用な俺には、それくらいの事しかしてやれなかった。そんな気遣いしか、浮かばなかった。
 何処かでまた会った時、アイツが何も言わなかろうと正直に言い出そうと、それはアイツの勝手だ。ただ、どうするか考える時間を与えるくらいしか――俺には、出来ない。
 慰めるなんて、した事もなければされた事もない。ライバルなんて今迄いなかったし、本当は――友達、さえも。
 子供の頃から、傍にいたのは父さんの部下だけで、同年代の友人なんて作る雰囲気すらなかった。けれど、寂しいと思った事はなかった。父さんのポケモンが――いたから。
 思えばあの頃はまだ、ポケモンを思いやってたんだな、俺も。いつから忘れてしまったんだろう。


「何処に行くんだよ」

「……俺はもうこの町を発つ」

「会わないんだな」

「元々、馴れ合うつもりもなかったんだ」


 踵を返し、男に背を向ける。相手の科白に説得の意欲はなかった。
 第一印象から思っていた事だが――この男にとって俺は、まるで自分自身みたいなものなんだろう。差し詰め、昔の自分と言ったところか。
 だから俺を止めはしないし、それ以上何も言わない。
 俺は病院を出て、ポケモンセンターに向かった。入院する前に預けたポケモン達を受け取って、トキワシティから出る為に。
 それで話は、終わる筈だった。レッドと言う男の事とか、女の事とか。俺の知らないところで起きた問題に、深く踏み込む事もなく終わらせるつもりだった。
 トキワシティを出発して、またあの女に会うのはいつかも何処かも判らないんだろうと、思っていた。もしかしたらもう一生会わない可能性だってあるなと、ぼんやり考えて――ポケモンセンターから出て、空を仰いだ時だった。


「ピジョット? ……お前……!」


 ピジョットが此方に向かって下りてきたと身構えれば、ピジョットの背中には病院で寝ている筈の女が乗っていた。
 女は歩くのもやっとな癖に、ピジョットのから下りると、覚束ない足取りで俺の前までやって来た。予想外の展開に、俺は言葉を失くして動くのを忘れる。


「よかった、まだいてくれて……」

「お前……」


 怪我の心配をしそうになって、言い留まる。此処で言えば、俺が知っている事がバレてしまう。
 俺は――何も知らないんだ。だからレッドと言う男に会うのもやめた。父さんについて聞きたかったが、これ以上この町にいたらと――思ったから。
 なのに、何で今目の前にコイツがいるんだ。誰よりも見つかってはいけない、相手が。


「グリーンさんから、聞いたわ。……助けてくれて、ありがとう。まずはお礼を言わなきゃ」


 はにかむように、ボロボロの顔で女は笑った。けれど直ぐその表情は崩れ、辛い色を帯びる。扉の向こうで聞こえた涙声と、言葉がまた聞こえた気がした。
 あの――男。余計な事を言った。これでは、何の為に立ち去ったのか判らない。
 俺がどうしたいのか、判らなかった訳じゃなかった癖に――結局、女の助けに回ったか。


「何の話だ。俺はトキワジムに用事があってこの町に来ていただけだ」


 お前がいたなんて、知らなかった――。
 無意味な嘘を吐く。
 それでも自ら認める訳にはいかなかった。だったら何の為に俺は今、この町を去ろうとしているのか。俺が不明になってしまう。
 それにこれは――俺の、意地でもあるんだ。俺の決心。


……嘘を吐かないで。私……そんな嘘、いらない」


 ぐっと言葉に詰まる。どうすればいいのか判らない。ただ黙って、女の科白を待つしか。きっとこれ以上何かを言おうものなら、俺は墓穴を掘るに違いない。
 もう十分、抵抗出来ないって言うのに。


「私ね……あの人に……レッドさんに、負けたの」


 貴方以外の人に、負けたの――。
 そんな顔をさせたくなくて、嘘を吐いたのに。会うのをやめて、町を出て行くつもりだったのに。
 俺は、どうすればいいんだ。約束をさせて、その約束でコイツを苦しめている――俺は。どうすれば、そんな辛い顔をさせずに済んだ?


がそう言ってくれてるのは、貴方なりの優しさだって判ってる。でも私、そんな優しさいらない……そんなの、優しさじゃないよ、


 本当は俺の行動を、そうやってはっきり否定するのも辛いんだろう。コイツは、優しいからな。優しさが判らない俺なんかと――違って。
 結局苦しめている俺なんかと、違って。


「私……と対等でいたいの。お願いだから……私を、甘やかさないで……」


 ああそうか。だから、違うんだ。だから、辛くさせてるんだ。
 コイツの、対等でいたいと言う気持ちは俺も同じだった。対等でいたいから、負けてばかりの自分が許せない。必ず勝ってやると思ったから――俺はあんな約束をさせた。俺以外の誰にも負けるなと。
 その約束が今、コイツを苦しめている。


「私は貴方の、ライバルでしょ?」

「……ああ」


 スタートが一緒だった訳ではない。寧ろ、俺の方がトレーナーとして先を歩いていた筈なのに。でも俺が本当にトレーナーとして歩き始めたのは、矢張りコイツに会ってからだと思う。
 父さんだって、強いポケモントレーナーとして、父さんなりのポケモンへの愛情とか、そう言うのは持っていたんだと思う。でなければポケモン達は、己の力をあそこまで引き出せはしなかっただろうし、父さんはトキワジムリーダーにもなれていなかっただろう。
 でも父さんは――強いポケモンをくれても、強いトレーナーになる方法とか、そう言うのは教えてくれなかった。
 だからやっぱり俺にとってこの女との出会いは――始まりだったんだ。


「話はついたかよ」

「ぐ、グリーンさん!」

「貴様……」


 声がした方を振り向けば、ピジョットの傍にあの男がいた。
 結果的に話は収まったものの、女に俺がいた事を教えたのはこの男だ。やれやれと言った調子が腹立たしかった。しかし俺が睨んでも、何処吹く風だ。


「ライバル以外には負けたくねぇっつー気持ちが判らねぇ訳じゃねぇが……だったら俺はどうなるんだ。今もレッドの奴には勝てないのに、新参者にも負けちまった」


 自虐的に笑う。だが確かにそうだと初めて気付いた。それでも俺に、その科白を病院で会った時に言わなかったのは、俺達より年上だから――と言うところか。
 新参者と言うのは、女の事に違いない。俺はこの男とはまだ戦っていない。戦ったとして――負けると、思う。女に負けても、この男が強い事に変わりはないんだ。


「まあそう言う奴もいるんだから、たった一回の負けを一々気にかけるな」


 気にかける暇があるんなら、次戦って勝てるようにしろ。
 尤もな事を言う。言われなくてもと、言いたくなる。しかしそうはっきり言われなければ、判らなかっただろうとも思う。
 もう少し気楽に戦う必要が、俺達にはあるのかも知れない。


「話がついたんなら病院に戻るぞ。まだ安静にしてなきゃならないんだ」

「あ、でも……」

「何だ?」


 女が何かを言いかけた時、ポケモンセンターから悲鳴が聞こえた。何だと振り返った時に視界に入ってきたのは――見慣れたポケモン、六匹。
 そのポケモンを見慣れていた理由に気付くよりも早く、そのポケモン達は目標に向かっていった。


「ば、バクフーン……! それに、皆も……」


 女の手持ちポケモンだった。
 どうやら、持ち主である女と違って回復は早かったようで、傷らしい傷を持っているポケモンはいなかった。六匹全員、はしゃくぎょうに女の周りに集まった。
 女が来たのをどうやって知ったのかとか、治療が終わりトレーナーに返されるまでモンスターボールに入れられている筈なのにどうやって出てきたのかとか、疑問はあったが――そんな問題を蹴っ飛ばすくらい、コイツらは女の事を心配していたんだろう。


「こら、待ちなさい!」


 状況をそれ以上詳しく把握しないでいると、またポケモンセンターから声が聞こえた。まだ何かあるのかと、自動ドアの向こうを見やる。
 自動ドアを開けて、外に出てきたのは――。


「ぴ、ピカチュウ?」


 一匹のピカチュウだった。女のポケモンのように、勝手に飛び出して来たのか。
 ピカチュウは俺の足元をすり抜けると、その儘何処かへ走り去ろうとしたみたいだったが――グリーンの前で、立ち止まった。


「お前……レッドのピカチュウだな」

「ピカ! ピーカッチュウ、ピッカ!」


 ピカチュウは何かを男に訴えている。男は何を言われているのか判っているのか判らないのか知らないが、ピカチュウをじっと見下ろしている。
 それよりも、レッドのピカチュウと――男は今、言ったか。
 あの男、ピカチュウなんて使っているのか? そんな弱いポケモンを……判らない男だ。


「レッドさんが心配なのよね、ピカチュウ」

「ピ? ピカ! ピカピカっ」


 何も言わない男の代わりに、女がピカチュウの言わんとしている事を当てる。
 なるほど、このピカチュウも女のポケモン達のように、トレーナーが心配、なのか。ポケモンなのに、そんな事を考えているのか、コイツらは――。


「グリーンさん」

「……判ってるよ」


 じっと自分を見る女に、頭をがしがしと掻きながら男は面倒臭そうに返事する。
 言われなくとも、この男にはピカチュウの言いたい事が判っていたに違いない。ただ、安易に連れて行く訳にはいかないと、考えていたんだろう。
 あの男は、病院に入院している患者だ。病院で、騒いではいけない。


「アイツの所に行くのはお前だけだからな、ピカチュウ。アイツは安静にしてなきゃならねぇんだから、お前一匹までだ」


 アイツを思うんなら、静かにしてやれ。そう言った男の言葉に、ピカチュウは項垂れた。男の言っている意味が判るが故に、余計なんだろう。
 しかしそんなに――あの男の状態は、悪いのか?


「お前らも、行くなら一匹だけだ」


 女のポケモンに対し、男は告げる。
 無鉄砲に出てきたのであろうそいつらは、そう言われるだろうと予想していただろうが、六匹揃って男の科白に固まった。それぞれの顔を窺う。そしてやがて五匹の視線は、バクフーンに集まった。
 お前が行けと、五匹の視線はバクフーンに言っているようだった。
 女の一番の、パートナーだから、か。
 バクフーンは五匹の視線を受けて、頷いた。


「決まったな」


 男はポケモンセンターに背を向けると、病院の方へ歩き始めた。そのあとをピカチュウがついて行く。ずっと待機していたピジョットは、傍を通る前に男がモンスターボールへ戻した。
 それで怪我人である女はどうするつもりなんだと俺が問うより早く、バクフーンが女を抱えた。どうやら男は、バクフーンの行動を読み取っていたらしい。
 来るなと言われた女の残りのポケモン五匹は、素直にポケモンセンターへ入って行った。
 自動ドア越しにポケモンセンターの中を見ると、ジョーイがポケモン達を迎えていた。どうやら、事の次第を察して見守っていたらしい。
 さて――それで話も、収まった。
 結局、隠し切れずに終わってしまったが。まあ女が納得したのなら、俺はそれでいい。
 この儘予定通り、トキワシティを発とう。レッドと言う男に父さんについて訊くつもりだったが、そんな気分じゃなくなった。寧ろ、そんな行動は野暮だとさえ思えてきた。
 父さんがどんな気持ちで修行に行ったのかは判らないが、俺に何も言わなかったのは、追ってくるなと言う意味だったのかも知れない。父さんだって男だ。弱い自分を――誰かに負けた自分の姿を、俺に見せたくなかったのかも知れない。


「何処に行くの? 

「……言った通り、この町を出るんだ」


 バクフーンの肩越しに、女は俺を見ていた。
 女のライバルであっても友人ではない俺に――女が退院するまでこの町に残っている理由はない。二人の意識が戻ったらと思ったが、どうやらあの男も一応無事らしいし。
 女も、俺のそう言う考えが判っているんだろう。制止の言葉はその口から出てこなかった。


「じゃあ今度会ったら、またバトルね」

「……ああ。次こそ俺が勝つ」


 覚悟しておけよ。にやりと笑って、付け足す。
 女は納得したようで、バクフーンに抱えられて病院の方へ向かって行った。その姿に背を向けて、俺も歩き出す。
 次に、何処でどんな時に会えるのかは判らないが――会えない事は、ないんだろうな。示し合わせなくても、遭遇する。それがライバルだ。
 さて、何処に行こうか。










.Back   ( top )   Next

( 後書き )

これでとのやり取りは終わり。
意外と長くなってしまいました。
筋的にはそんな、長いようには見えないんですけどねえ。タスクバーが小さいわ。