09*
旅の中、道をゆく




 あたしはその時、エイチ湖のほとりにいた。既に陽は沈み、月が夜空に、そして水面に浮かんでいる。
 ただ弱い光を放つ外灯でも、十分辺りは明るかった。外灯の光を、降り積もった雪が反射しているからだ。朝は特にその白さが輝きを増す。
 だがそれらがなくとも、あたしの傍は明るく暖かかった。と言うのも、あたしの傍にリザードンがいたからだ。
 リザードンはあたしの足元を照らし、その上寒くないようにその尻尾の炎を燃え盛らせている。
 リザードンは、あたしがポケモンセンターから外へ出た時に、モンスターボールから勝手に出てきた。それは別にいいのだけれど、寒いから入ってなよと言うと、長い首を振って拒まれた。いざという時にモンスターボールの中にいては護れないとでも思っているらしい。過保護だ。
 そう思いながらリザードンの姿を視野の端に置き、湖を眺める。すると、不意に何かが光った。
 眩しいものではなく、仄かな光。バルビートやイルミーゼの出す光に似ていたが、本能が違う事を告げていた。
 気付けば反射的にポケモン図鑑を開いていた。しかし図鑑は反応を示さなかった。代わりに、くすくすと笑う誰かの声が、脳に直接響いて聞こえた。その声は、リザードンにも聞こえたらしい。険しい瞳で周囲を見回している。


『そんな機械では私の姿は捉えられませんよ』

「……君は?」

『私はユクシー。この湖の奥底で眠る者』


 口調は丁寧だが、声音には人を小馬鹿にしたような色合いが見え隠れしている。応対しつつ声の主の姿を探してみるが、一向に見つからない。
 しかしふとリザードンを見てみると、湖の水面を真っ直ぐと見つめていた。その視線を辿って、目を凝らしてみれば――透明な何かがいるのが判った。そこだけ、風景が変に歪んでいる。
 ――多分、ポケモンだろう。そして恐らく、伝説とされるポケモンの一種。
 シンオウは他の地方よりも神話が多く残っており、伝説の中で語られるポケモンは他の地域よりも多い。そしてエイチ湖にも、伝説がある。その伝説に出てくる知識のポケモンの名は、ユクシーと言った筈だ。


「そんな君が、何であたしの前に出てきてくれたのかな」

『一度ポケモンになった貴方だからですよ。結局判らない儘と言うのも、忍びないと思いまして』


 あれから――あたしがポケモンになって、と出会って別れて現在に至るまで――未だ疑問が解けずにいる事がある。
 何故あたしが、選ばれたのか。との絆が呼び寄せたのかも知れないと言う自己完結をしていたものの、どうにもあの湖の存在が引っ掛かっていけなかった。
 気を失う前に――ポケモンになる前にあたしが向かった、おくりの泉。
 あたしが突入した頃はまだ名称は付けられておらず、ニュースでは隠れ泉と言われていたのだが、シゲル君率いる調査団がおくりの泉と名付けた事を、意識を取り戻したあとポケモンセンターで知った。
 直感的に、あの湖とあたしがポケモンになった事が、繋がっている気がした。直接的ではないにしろ、間接的なきっかけには――なっていた筈だ。そんな確信があった。


『少なからず、気付いてはいるんですね。そう……貴方が選ばれたのは、貴方があの湖にいたからです。あそこにいるポケモンの力で、貴方は歪んだ世界へ落ち……結果、それがあの世界への道を開く事になった。偶然であり、必然でもあった訳です』


 あたしがあそこへ行ったのは偶然でもあったし、けれどリザードンとの絆を考えると必然でもあった。
 何故なのかは何となく判ったものの――結局のところ、確固たる要因は不明のようだ。ユクシーもそれ以上を語ろうとはせず、あたしの目の前でじっとあたしを見ているようだった。相手は透明な為、何処が顔なのかあたしには判らない。ただ向けられる視線だけを感じた。


『もしかしたら、その子……が、歪んだ世界へ落ちた貴方を呼んだのかも知れません……私が話したかったのは、それだけです。それでは』

「え、ちょっと……!」


 ゆらゆらと水面の上を漂っていた影は、急いで言葉を告げたかと思うと、慌てるように消えてしまった。あたしの制止すら聞かずに。
 余裕を持って勿体ぶったような態度だったのに、何だったのか。
 あたしが不可解に湖を見つめていると、隣に立つリザードンが何かに反応して警戒態勢を取った。ユクシーの声を聞いた瞬間の反応とは違い、緊張が張り詰めている。
 リザードンに倣って、彼が見つめる方向を凝視した。


「……シンジ君」

「今、何かいなかったか?」

「いないよ、何も」


 暗闇の向こうにいたのはシンジ君だった。直ぐに緊張を解くものの、反動で咄嗟に嘘を吐いてしまった。でも別にあたしは正直者と言う殊勝な性格をしている訳でもないので、その嘘を訂正せずに置いておく。
 まあシンジ君の事だから、伝説のポケモンになんて余り興味を示さないのだろうとは思う。
 シンジ君はゆったりとした足取りで、あたしの目の前までやって来た。けれど数メートル距離を取って、立ち止まる。この暗がりの中では、その表情は判り難い。
 そう思いながら修行はどうしたのと訊くと、今日はもう終わりだと言う返答を貰った。
 ジンダイさんに負けてから、何だか素直になったなと思う。完敗してしまった事で、自分の作り上げてきたバトルスタイルを一瞬で見失い、自信を失くしてしまったのだろう。とは言え、元々はレイジ君に似て素直な少年だったのだから、少し昔に戻ったのだとも言えた。


「……アンタも、兄貴みたいにあの人に……負けたんだよな」

「見てたでしょ?」

「でもアンタは兄貴と違って、何度も何度も挑んだ」


 シンジ君はあたしが嫌いらしいのに、あたしが湖に出かけているのを知っておきながら何故やって来たのだろうかと思っていると、徐にシンジ君は尋ねてきた。
 その口調は、いつになく重々しい。レイジ君のように、ジンダイさんとのバトルは思い出したくない記憶になってしまったのだろう。
 しかしシンジ君の場合、レイジ君の負けた姿を見ていたから――逆に、忘れてはいけないものと判断したかも知れない。レイジ君とは――兄貴とは違うと言う、彼ならば。


「アンタがあの人に勝ったところを俺は見てないが……アンタは兄貴が思い知った未熟さを、感じなかったのか?」


 レイジ君が負けた次の日にあたしはジンダイさんとバトルをして、負けた。その暫くはレイジ君のように、野生のポケモンとのバトルすら出来なくなった。でもその二週間後、あたしはもう一度ジンダイさんへ挑んだ。
 そのあとは、一週間に一度の割合で何度も挑戦した。
 レイジ君のバトルを見に来ていたシンジ君は、そんなあたしも一緒に見ていたのである。ただレイジ君がシンオウへ戻って育て屋をすると決断したと同時に、シンジ君も彼自身の旅へ向かった。だから、あたしがジンダイさんに勝った場面を見た者はいない。


「自分が未熟だなんて、普段から判ってた事だもの。今更思い知るものじゃあなかったわ」


 どんなに強くなろうとも、どんな強者に勝とうとも、あたしはいつまで経っても未熟だ。それは――此処に来る前にも、思い知った事。忘れそうになる度に、現実は突きつけてくる。
 だから少し、慣れていた。


「あたしはこの子達が……ポケモンがいなきゃ取り立てて特技も持たない人間よ。頭がいい訳でも、料理が上手い訳でもない。寧ろ食事に関しては、この子達に世話される身だもの」


 この子達がいなければ、あたしはあの泉の奥にあった洞窟で死んでいた。あの洞窟での出来事に限らず、あたしは己の危険を忘れて突き進んでしまうから、この体験が初めてでもなかった。
 だからシンジ君やレイジ君のような、自分に対する自信なんてなかった。あたしは飽く迄、ポケモントレーナーに過ぎない。この子達が戦い易いように、導くだけに過ぎない。


「それに……仮令未熟さを思い知ろうとも、あたしは諦めなかったわ。諦めるなんて、あたしらしくない。悔しい儘なんて厭よ」


 負けず嫌いだから、時々向こう見ずに突っ走ってしまう。
 勘定的過ぎるなあとか、子供っぽいと言う自覚はあれど、矢張りこれがあたしなのだとよく実感する。そしてそんな自分が、好きだ。


「あとは……そうね。レイジ君の姿があったから、かな。多分この気持ちは君なら判ってくれると思う。挫けたレイジ君を見てあたしは、あたしがレイジ君をどうにかしなくちゃいけないって思ったの。あたしまで挫けたら……後ろを見たら、誰がこれからの先を指し示すのよ」


 あたしが、レイジ君に喝を入れてやらなきゃいけないのだと思った。それがライバルである、あたしの役割なのだと。あたしがやらなくて、誰がやるのよと。
 仮令それが、エゴだとしても。


「あたしが初めて負けた相手はレイジ君だった。それからは、レイジ君を追いかけるように旅を続けたわ。レイジ君に、勝っても尚」


 気を緩めれば、直ぐに追い抜かれた。その度に、折角追い抜いたのにと悔しがった。悔しさをバネに強くなる。負けて悔しく思って己の至らなさに気付く事が、新たな強さになる。
 それを教えてくれたのは、レイジ君だった。
 それをあたしに教えてくれたレイジ君だから、あたしが彼から教わった事を彼にも知って欲しい。自分の心に、目を逸らして欲しくない。


「……本当はね、レイジ君と別れて一人になった時、遠くなって行くレイジ君の背を見て、めげそうになったの。もしあたしがジンダイさんに勝っても、もうレイジ君はあたしを見てくれない。追いかけてくれない……そう思うと、戦う意味すら見失いそうになった」


 こんなに彼の存在があたしの中で大きいとは思っていなかったから、余計に戸惑った。
 トレーナーをやめるとレイジ君に言われた時あたしは、半月程ジンダイさんへの三度目の挑戦が出来なかった。これ以上やって何になるのかと、一番悩んだ時期だった。
 レイジ君はそんなあたしの戸惑いに気付かぬ儘、シンオウへ帰ってしまった。あたしはその手を掴んで止める事すら、声を出してその名を呼んで止める事すら出来ずに、心をもやもやさせてその背を見送った。
 追いかける背を追い越して、あたしは目標を失った。途方に暮れて、少しの間立ち止まった。


「でもそんな時……この子が、この子達が、あたしの背中を押してくれたの」


 傍に立つリザードンを見てから、ホルスターにつけてあるモンスターボールに視線を落とし手で撫でる。
 ずっとずっと、傍にいてくれる彼ら。状況や条件よってパーティを取り替える事もあるのに、彼らは等しくあたしを想い励ましてくれる。
 一人じゃない、一緒だよ、一人で悩むな。そう、語りかけてくれる。


「何度もジンダイさんに挑み続けられたのは、この子がいてくれたからよ。この子があたしを、信じ続けてくれるから」


 どんな時があろうともどんな時も、はあたしを信じてくれた。疑われようと永遠の別れを告げられようと――約束すら出来ずに別れてしまおうと、あたしとの未来を信じ続けてくれた。
 そしてがあたしを信じてくれたのは、リザードンが幼い自分に信じる事を教えたから。


「信じてくれるこの子達の為にも、レイジ君の為にも、あたしは諦めちゃいけないんだって思ったわ」


 シンジ君は黙ってあたしの話を聞いている。じっと真っ直ぐ、あたしを見つめた儘。
 改めて――彼は歩き出そうとしているのだと、実感する。そしてそれは、立ち止まったレイジ君の姿があったからこそなのだなと、感じる。あたしとシンジ君は、そこら辺が似ている。


「別に、重荷でも何でもないよ。何より、あたしのしたい事だったから」


 それをやれと言われて、はい判りましたと従うあたしじゃない。飽く迄全て、最終的にあたしがどうしたいかを考える。
 ポケモンになってあの世界を救おうと思ったのも、あたしがやりたいと思ったから。あたしに出来る事なのなら、あたしがやりたいと思った。それが偶々、あたしに割り振られた役目だったのだとしても。


「あたしがめげた時はいつだって、この子は前を見ろと言ってくれた。自分を疑うのは変だよと、自分を信じてって。そうして……一緒に歩いてくれた」


 絶対的とも言える力を見せつけられたのは、あたしだけじゃなくリザードンだって他の皆だってそうだった筈なのに、傷ついた躯で立ち上がって、あたしの傍にいてくれた。
 それはどんな時も隣にいると言う、彼の――彼らの意志表示だった。
 こんなあたしの傍にいてくれるこの子に、あたしが応えない訳にはいかない。


「信じる心が、未来と奇跡を作り出すのよ」


 信じて歩き続けられるから、未来への先が見える。それを教えてくれたのは、
 はいつだって自分を信じて、あたしを信じた。彼が信じたから、彼はあたしを見つけ出せた。また、会えた。は、その未来を導き出して見せた。


「それなら何故、兄貴は勝てなかった? 兄貴だって、信じていた筈だ」

「……そうね。でも、違うのよ。ただ信じる事が、直接勝利に、未来に繋がるんじゃないの」


 それだったらあたしは、ジンダイさんとの勝負を一回目で勝っている。けれどあたしも――何度もあの人に、負けた。負けて、挫けそうになった。
 ――どうして君はあたしが信じられるの? そうに尋ねた時、立ち止まったように。
 それでも今があってあの人に勝てたのは、一度挫けて立ち止まっても、また歩き出したから。
 さあ行こう。はそう言って、あたしに手を差し伸べてくれた。また歩き出すきっかけを、与えてくれた。


「レイジ君が何故ジンダイさんを超えられなかったのか……それは多分、レイジ君が戦う意味を見失ったからだと思う。レイジ君の傍にいたあたしだから判る。あの時ジンダイさんとのバトルの中で、彼は判らなくなってしまったのよ。ポケモントレーナーとしての、存在意義が」


 だからトレーナーをやめる事にまでなってしまった。ポケモントレーナーが求めるものすら判らなくなって、ポケモンとの関係すら判らなくなって、目の前が真っ暗になった。
 でもそれは――彼にとって、唐突なものではなかったんだろうと思う。じわりじわりと、彼の中に芽吹き始めた疑念の種だった。
 戦術をよく考え、それに自信を持っていた彼だから、陥ってしまった穴。
 彼が思い知ったのは、そう言う己の未熟さだった。ポケモントレーナーとしてポケモン達を、勝利に導いてやれなかった。その自責の念が、彼を追い込んだ。
 彼は絶対的絶望に、屈してしまった。それが幻とも気付かず。


「奇しくも、レイジ君には絶対的なパートナーがいなかった。拘りがなかった。どのポケモンも好きな彼だからなのかも知れないけど……」


 皆を愛して導いた彼だから、その背を叩くものがいなかった。彼の信じる想いは、信頼ではなかったのかも知れない。
 兄であり親のような性格をしていたが故に、ポケモン達に頼る事をしなかった。だから彼のポケモン達は、挫けた彼に戸惑うしかなかった。指導者を、失ったかのように。


「それが……ジンダイさんの言う綺麗なだけのバトルを生み出す事になった」


 ポケモントレーナーとポケモンの関係は、信頼関係で築かれているべきだ。どちらか一方だけが信頼する形では、完璧なものと言えない。ポケモンを導くポケモントレーナーもまた、ポケモンを信じ頼らねばならない。
 ポケモン達に世話される身であったが故に、あたしはその関係を築けたのと思う。


「でもレイジ君の場合――皆が等しくパートナーになれたと思うの。彼が気付き、彼らが気付けば。そして……諦めなければ」


 最後の一言を口にする時、どうしても歯痒くなっていけない。未だにあたしは、彼のそこだけが許せずにいる。かと言って、諦めないでよとは言えなくて。
 それが君の選んだ道なのねと、受け入れるしかなかった。
 諦めたあの瞬間の彼を思い出して歯痒く思ってしまうのは、その時傍にいながら、去り行く彼を振り向かせられなかったのが、今でも悔しいから。


「あたしは……レイジ君ならいつか、ジンダイさんを超えられると思うの。諦めなければ……あの時だって」


 あたしはレイジ君を信じていたのに、レイジ君は自分を信じていられなかった。もしかしたら今も
――そうかも知れない。だから立ち直れずにいて、今もジンダイさんに挑めずにいる。
 ――悔しい。
 一度自分を疑ったあたしだから、自分を信じれずにいる彼の気持ちが判って、歯痒い。


「……アンタには迷いがないのかと思ったが、違うんだな」

「うん。あたしはこの子がいるから迷わないだけ。この子が信じ続けてくれる限り、あたしは迷わない」


 迷うなと、この子が言う限り。この背中を叩いて押してくれる限り。
 けれどこの子にだって迷う時はある。その時は、あたしがその背を叩いてやるのだ。頼って、頼られる存在。あたし達は、互いがいてこそ迷わない。


「信じる力、か……」

「信じれば何でも出来る、とは言わないし思ってないわ。でも、信じないよりはいいと思うの。誰かを信じていれば、一人じゃないって判る。一緒なんだと思うと、安心出来る。信じる力って、そう言う心構えを作ってくれるものだと思うの」


 シンジ君はその、信じる力って言うのを疑っている。だから、サトシ君のバトルスタイルを馬鹿にする。偶然で勝ち進められる程、ポケモンバトルは甘いものではないから――と。
 単にシンジ君は、ちょっとシビアなだけだと思う。夢を見ない子供なだけ。
 でもそれでも、それはそれでシンジ君なのだとあたしは思っている。シンジ君がそんな自分を信じているのなら、それでいいと思っているから。
 信じるって言うのは、思ってやる事じゃない。無意識でやっている事だから。ただあたしはそれを、実感していると言うだけであって。本当はあたしとシンジ君に、大きな違いはない。


「いつだってあたしを信じてくれたこの子を、あたしは信じてる。この子が信じるあたしを、そしてこの子を信じるあたしを信じてる」


 多分君にも出来る事だよと言って、あたしはくるりと踵を返した。それ以上の言葉はもう、いらないと思ったから。
 ポケモン達に高い能力を問う彼だから、信頼している存在はある筈。きっとあのドダイトスなら――彼の心を判っている。共にレイジ君の姿を見、感じたあの子なら。
 振り返って、その場を動かず佇んでいるシンジ君を見てみれば、じっと湖を見つめていた。
 何か答は――見つかっただろうか。










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( 後書き )

本編見る前に、予告すら流れる前に書きました。
夢主はジンダイさんについていかずレイジさん達に同行しました。
レジ三体はジンダイさんに元々返していたと言う事で。
レジギガスを目的にキッサキに来ていたが、
レイジさんの事があってそっちを選んだと言う話です。優先順位の問題ですね。
今回はまあ、夢主の信念の補足という感じです。